yuzukayuzuka

yuzukaです。

「美しくなきゃ、愛されない」

この話題のコラムを書こうと思って手が止まるのは、このテーマが女性にとっての「圧倒的タブー」だからである。
でも、書こうと思う。書かなければならないと思う。

私たちは生まれもって「顔面」という装備を備え付けられていた。ただし、平等ではない。

どんな攻撃にも耐えられるような鋼の「美しい顔面」を与えられたものもいれば、反対に、その顔面だけで差別の標的になる「醜い顔面」を与えられた者もいる。

恐ろしいことにそれは選ぶことができず、そして、一生剥がれない。

選ぶこともできず、捨てることもできないのに、「親からもらったものを大切に」と口すっぱく言われたりもする。

そして明らかに不幸の元になっているにも関わらず、「顔のせいじゃない」と伝え続けられる。

テレビにも雑誌にも、美しい顔面を持った人間しかいないのに。

醜い顔面の者が幸せになっても、「どうして?」と首をかしげられるのに。

美人は得をする」ってみんながわかっているのに、それなのにみんな

顔は関係ない。顔だけじゃない。」って、そうやって口をそろえる。

ばからしいなと思いながら、だけど確かに「顔面」に振り回されながら、私も今日まで生きてきた。

女性が幸せになるためには何が一番必要か、と聞かれた時、

私はまず、「美しさ」と答える。

これは賛否両論あるかもしれないし、勿論それが全てではないけれど、でも「美しさ」ほど手っ取り早く、対価を得られるものって、多分他にない。

お金では買えないものも多い。だけど、美しさを盾にすれば、なんだって手に入る。

美しさは金になり、そして、愛の引換券にすらなりうるのだ。

ああ、ここまで書いてみると、なんと恐ろしいコラムなのだろうと思う。

まるで病的に美に取り憑かれた頭のおかしい奴みたい。

だけど大切な話だからちょっと聞いてほしい。やっぱり「美しさ」は、必要なのだ。

素敵な男性に選ばれるためには、素敵な女性にならなければならない。

さて、「選ばれる」というと、少し男性優位な気がして腹が立ちそうなものだが、

それでも恋愛において「選び、選ばれる」というのは、最も基本的なファーストステップである。

この最初の段階をクリアしなければ、結婚はおろか、ロマンチックに見つめ合うことだって難しい。

だから私たちは、選ばれるために、そして選ぶために努力する。

自分の理想とする男性を選ぶためには、それに見合った女性でいなければならない。当たり前だ。

少し前、あるウェブメディアにコラムの寄稿を頼まれて、同じようなものを書いて提出した時、

「これだとまるで、女性が無理をして努力をしなければ、素敵な男性と結ばれることができないといった内容に捉えられます。

近年、女性は努力なんてしなくても、ありのままで愛されるべきだという風潮が主流になってきています。書き直してください」

というような返答をいただいたことがある。

「アホか?」と思って、そのメディアのコラムへの寄稿はお断りした。

いや、確かに。「誰でも良い」のなら、努力なんてしなくても、今の自分のレベルにあった男性とお付き合いすれば良い。

でも、「見た目は綾野剛で、年収は1000万円以上、浮気をしない」なんていう天然記念物レベルの男性を目指すのであれば、

自分も彼らにとって選びたくなる女性でいなければならないのである。当たり前だ。

醜いまま、ありのままを盾に努力を放棄し、優しさだけを求めてくる女性を、誰がほしがるだろうか?

「男なんだからありのままを受け入れてくれよ」に苛立ったのは、私たち女だったはずだ。

「女なんだからありのままで受け入れてくれよ」は、等しく醜い要望だ。

無理に美しくならなければならないのではない。必要なのは、努力を維持する努力だ

じゃあどうすれば良いの?整形をするしかないの?

違う。

何も私はそこまで過激な「顔面差別主義」ではない。

事実、私も醜い顔に生まれたが、整形という選択は取らなかった。

私が伝えたいのは「努力を放棄することの危険性」である。

恋愛には、努力が必要だ。そして、選ばれるためには、「美」を備付けるのが最も手っ取り早い。

私たちはありのままを投げ捨てて、美しくなる努力を放棄すべきではない。

常にある程度の美しさを手に入れようとする、そして維持しようとする努力が必要なのである。

それはいくら綺麗事を言ったとしても、恋愛が、性的欲求から沸き起こるものである他ならないという事実から来ている。

誰しもにとって美しくある必要はないが、相手が認めてくれた「美しさ」を磨き続けない限り、相手から「恋」の感情は、きっと消えてしまうであろう。

なんて酷いことをいうのだと怒られてしまうかもしれないが、私はふんわりとした言葉で共感だけを誘う文章を書くことは好まない。

いつも自分が感じてきた思いから、誰かに道を示したいという思いで、言葉を書いている。

浮気や不倫をする男は、相手がどれだけ美しく、健気であっても同じ過ちを犯す。というのは伝え続けているが、

ひとつだけ、「ちょっとこれは違うかもな」と思った、哀れな男性の話をお伝えしたい。

彼は他でもない、風俗嬢として働いていた頃の、私のお客さんだ。

彼は妻を心から愛し、結婚した。

事情があって、子どもはできなかった。

結婚生活が5年を超えた頃、夫婦の間に「恋」は無くなり、そこから6年間、セックスをしなかった。

彼はそれでも、不倫をしなかった。妻を愛していたから。

妻は結婚当時から18キロ太り、化粧はしなくなり、毎日ソファに横になって、ポテトチップスを1日3袋食べ続けるようになった。

当初の面影はない。それは、「容姿」だけの問題ではない。

下着姿で、伸びた爪で鼻をほじり、屁をこく妻に、絶望すら覚えた。

そんな生活が続いたある日、彼は突然、妻からベッドに誘われた。8年ぶりだった。

妻は涙ながらに、「求められなくなって辛かった」と訴え、彼は反省した。

でも、彼はどうしても、どうしても、もう一度妻を抱くことができなかった。

試そうとはした。でも、勃たなかった。

容姿だけで選んだわけじゃない。勿論、妻のことも愛している。結婚当初から、その気持ちは変わっていない。

でも、変わり果てたその妻の姿に、男として興奮することができなかった。どうしても。

彼は次の日、初めて風俗に来た。

自分の男性器に問題があるのかもしれないと思ったのだ。誰にも相談できなかった。

そして私の裸体を前に勃起する自分に、泣いていた。

もちろん、セックスはせずに帰った。

私はあの日から、「容姿なんて関係ない」という言葉を、使わなくなった。

恋愛をするうえで、「相手のため」と言い訳して自分の愛をぶつけることばかりに体力を使う人がいる。

「私のありのままを受け入れないなんて器の小さい男」だと、交際相手に牙を剥く人がいる。

だけど、違うのだ。

本当に努力をしなければならないのは、そんな部分ではなく、あなた自身が光り続けていること、魅力的な人間であり続けること。である。

それは多分、ちょっとした義務なのかもしれない。

相手が自分を選び、そして、自分が相手を選び続ける権利を持ち続けるための。

恋愛は勿論、結婚をするうえで、男女の間に沸き起こる特殊な感情、いわゆる「恋心」を維持させるのは、難しい。

そう、難しいということを、まずは理解しなければならない。

それを理解したうえで私たちがしなければなれないのは、多分、最初は苦痛なく自然にできていた、相手への気遣い、魅力的に思ってもらう努力なのかもしれない。

「ありのままで愛されましょう」

いい加減で、薄っぺらくて、無責任だなって、毎日思ってる。

私たちは美しくあるべきだ。今も、これからも。

yuzuka

この記事を書いた人

yuzukayuzuka

編集長。元精神科、美容整形外科の看護師で、風俗嬢の経験もある。実体験や、それで得た知識をもとに綴るtwitterやnoteが話題を呼び、多数メディアにコラムを寄稿したのち、peek a booを立ち上げる。ズボラで絵が下手。Twitterでは時々毒を吐き、ぷち炎上する。美人に弱い。